自分の繊細さを楽しむ話(*^_^*)

今日は、ふと「これシェアしてみよう!」と湧いてきたので、

書いてみたいと思います。

「私が見ている世界は、私が見たいように見ている」

これを大前提にして日常を過ごしていると、自分が反応する(感情が出る)たびに、

「自分が見ているこの世界に問題があって、それをなんとか解決しなければ!!」

という動きにならなくなっていきます。

それよりも、

「あれ? この現実が起こるのはなぜなんだろう?」

「自分が見たいように見ているのであれば、私、今何に気づけばいいんだろう?」

「こんなこと、全然望んでないのに……。ということは、

ここに私の思い込みや勘違いがあるということなのかな?」

という感じで、相手をどうこうとか、出来事をどうこうとかすることに、

エネルギーを注がなくて良くなってきます。

私自身は、まずこの立ち位置に立つことで、だいぶ楽になりました。

なぜなら、相手の心や出来事の原因を探るといった、

私にとって難解でしかないことにエネルギーを注ぐ必要はないと知って、

今までそこに注がれていた大量のエネルギーの消耗が無くなったからです。

繊細さんあるあるになると思いますが、

相手に共感しすぎて自分のことのように感じてしまい、

「なんとか力になりたい」という思いや動きは、

本当に自分のエネルギーを大量に消費してしまいますよね。

私も長年、それをずーっとやっておりました。

それをずーっとやっていたら、常に自分のエネルギーを相手のために使い、

エネルギー切れを起こしていることに、自分で気づけなくなっていきました。

気がつくと、いつも誰かのために動いているので、

自分が置いてけぼりになっていました。

自分が何がしたいのか、どんな自分で在りたいのか、

よく分からなくなっていました。

誰かのために動いたにも関わらず、

自分には疲労と満たされないモヤモヤが残りました。

今思うと、相手の気持ちを感じ取りすぎて、

「何とかしなきゃ!!」みたいな使命感を勝手に(笑)持っていたのかもしれません。

そのようなモヤモヤが積み重なって、

どこにもぶつけようのないもので自分を攻撃してしまう。

相手へのネガティブな感情が湧いても、

「相手をそんな風に思ったらダメ!!

これは私がもうちょっとこうしたら良かっただけの話」なんて、

自分に言い聞かせ、分かった風なことを自分に課したりして……。

もちろん、こんなこと頭の中だけでやっているので、

心と身体は反応します。

でも、頭がガッチガチになっているので、

そんな反応にも気づけません。

不調になって寝込んだとしても気づけません。

そりゃそうですよね。

自分に向き合うエネルギーは全然残っていないのですから。

無自覚にそんなことばかりしていたので、

自分に向き合うようになってから、

私はものものすごく「怒り」の感情を

溜め込んでしまっていたことが分かりました。

怒りの感情は、我慢が発端だったりしますので、

「私、相当我慢をしていたんだな……」と、

あとになって気づきました。(;^_^A

繊細さは、この世界を楽しむための「最高のツール」だった!

そこから、潜在意識のことや、心や身体のこと、

潜在数秘術のことを学んで実践していくたびに、

自分の本質につながることがどういうことなのか、

少しずつ体感できるようになりました。

冒頭で書いた、「自分の見ている世界は、自分が見たいように見ている」

という立ち位置を知らなかった頃は、

「自分の見ている世界は、自分ではどうしようもないから、

世界からはみ出さないように頑張る」という感じで、

自分の外側を軸に生きてきましたが、

それこそが、思いっきり自分の思い込みや勘違いだった

ということを知り、180度立ち位置を変えてみたら、

この自分の中では「面倒くさい特性だなぁ」と感じていた繊細さが、

「この世界を楽しむためのサイコーのツールになっているじゃないか!!」

と捉えなおすことができました。(^_^)

どういうことかというと、

一人一人が「この世界は自分が見たいように見ている」としたら、

それは一人一人が見たくて作った「物語(ドラマ)」として捉えることができませんか?

私が見ている世界は、私が主人公で、

周りの人たちはキャストさんです。

私が見たい世界を、みんなが協力して実現させてくれています。

そんな風にして、それぞれが、自分の世界で自分の物語を楽しんでいる訳です。

とすると、私が見ている世界の物語は、

私がそれを体験したくて作っていますし、

それを体験できるように周りの人たちが協力してくれているので、

そもそも周りの協力者たちに対して「ありがとう」しかないですよね。

というのを、周りの人たちもそれぞれの世界でやっている訳なので、

自分の見ている世界で遠慮とか気を使ったりとかしなくて大丈夫というか、

「みんなそれぞれ自分の世界を楽しめばいいよね!!」

という軽やかさが生まれてきませんか?

そうすると、この繊細さは、

この世界を隈なく体験するために使っちゃえばいいよね!!と。

繊細さんは、本当にいろんなことに気づきやすいですよね。

それを自分の喜びのために使うというか、

日常の小さな美しさや優しさに気づいた時に、

「いや、私が見ている世界ってこんなに繊細で美しい世界だったんだー!!」

と深く感動できるのも、この高いアンテナがあるからこそだと思います。

一番疲れてしまう人間関係でも、

一人一人がそのように自分の世界を生きていると思えば、

相手の話を聞いた時も「あ、この人の物語では今こういうお話が展開しているのねー」と、

一つの物語を聞いている感覚を持つことで、

相手の物語に介入する必要はないことが分かり、

その物語を楽しむことができるのではないでしょうか。

そして、自分自身も、誰かに自分の見ている世界の話をする時に、

「これは、私が作った物語なんだけどね……」という感じで話すことで、
(実際にそう前置きせずとも、心の中でそのような立ち位置で話してみるといいかもしれません)

自分自身も、自分の見ている世界を一つの物語として

少し離れた位置から見ることができるようになり、

物語自体を楽しめるようになっていると思います。

その体験を繰り返していくことで、

次のステップとして、

「お!!これを物語として見ているもうひとりの私がいつもいるなぁ」と、

自分の本質と繋がる体験が増えていくと思います。

実は常にそことは繋がっているのですが、

どうしても物語を物語として捉えられていない時、

物語がリアルすぎてそこに飲み込まれている時は、

そこの繋がりをなかなか感じることができません。

まずは、そんな風にして、みんなそれぞれ、

自分の物語の世界を楽しんでいるんだと捉えることで、

その繊細さを自分の物語の完璧さや細かさなどを楽しむものに使ったり、

それを観察している本質の部分に気づくために使ったり、

自分の喜びのために使ってみてください(^_^)

心の深いお話になりましたが、

ふと必要な方に届くといいなと思い、

シェアさせていただきました。

自分の物語を紡ぐためにカフェで執筆する、穏やかな時間の様子を描いたイラスト
繊細さは、この世界を楽しむための最高のギフト♪